伺かのこととか
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世界って…煮汁?
Wiz★さんのブログを見ていたら言及して頂いていてびっくりしました。
自分の名前をどこかで見たら、心臓が飛び上がりますね。ドキドキ。

人はみんなフィルタで、通すとちょっと世界に色がつく。
特定の偏向を与えるということ。

だから、誰かの作ったものは全てその誰かに色づけされる。


そうなのですよね。
創作は、特に如実にその色づけが出るような気がします。
つきつめて自分の作りたいものを作ろうとするほど、色が濃くなる気がします。
そして、その色をそのまま魅力にできるのが創作のいいところだなあ、なんて。

ところで最近、このフィルタについて、ええいこいつめ!と思うことが多々ありまして。
誰か・何かから、自分の都合のいい部分しか取り込んでない・湾曲して取り組んでいるようで、または自分が発信しているものも、自分の都合のいい部分だったり自己正当化するためのものである気がして、なんかそれが嫌だなあとか、勿体無いなあと感じるのです。

みんなそんなものなんでしょうか。
客観性を保ちたいなーなんて思うのですが、その客観さえもフィルター通ってるのですよね…。

でもこのフィルターこそが、自他との境目。
Wiz★さんの仰る「それが自分自身であることの証明」なのでしょうね。

布自体が既製品でも、パッチワークにした時の柄や、布の縫い合わせ方が「その人」なのでしょうね。
それは多分、刻々と変わっていく部分と、ずっと変わらない部分とがあって。

・・・って話ずれてるかも。
だ、大分フィーリングで喋りました!
何喋ってるか分からんくなった!
全然違うこと言ってたらすみません。
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